迫山の旧道を行く5
2012/05/17 Thu 07:00
今日のふるさとの窓はこちらです。

上ってきた山道を下り、旧道をさらに南に進んで行くと前方に大きなお屋敷の蔵が見えてきました。
この道と平行する川土手の大きな道路を車が走り抜けていきます。
山陽町史によると天保末年ごろ
下津、迫山、鳥越、吉部田、沖部などで、合計65家の厚狭毛利家の家臣が居住したとあります。
厚狭の景色を画像で残しておきたい
そんな気持ちで黙って撮った画像の数々 どうぞご容赦を!
ご協力があればこそ!お陰様でこのブログが続けられます。
もしご都合悪ければ、お知らせ頂ければ削除致します
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上ってきた山道を下り、旧道をさらに南に進んで行くと前方に大きなお屋敷の蔵が見えてきました。
この道と平行する川土手の大きな道路を車が走り抜けていきます。
山陽町史によると天保末年ごろ
下津、迫山、鳥越、吉部田、沖部などで、合計65家の厚狭毛利家の家臣が居住したとあります。
厚狭の景色を画像で残しておきたい
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迫山の棚田の石垣
2012/05/16 Wed 07:00
今日のふるさとの窓はこちら・・・・昨日の続きです。
棚田を形造る石垣は向かって右は最近のブロックが使用してあり、左側は昔からの石垣が残っています。
手前の坂の石垣も面白い。

この石垣に魅せられてしばし眺めていました。


下は今我が家にある本に載っていた雑誌の写真を撮ったものですが・・能登に今も残る七尾城の石垣です。

上杉謙信により包囲されるも1年にわたり持ちこたえたというお城。
もうひとつ下の明地城のこの全体の雰囲気が昨日の棚田の写真とびっくりするほど似ています。
真ん中の奥にお城があったそうです。これは<笠岡遊歩さん>から画像をお借りしています。

この2つはいずれも居城でなく<逃げ込み城>です。
ところでこのあたりにあった物刈城の場所はどこですか?。
ここは関係ない場所なのでしょうか?。
もう一度、書いておきます。
物刈城は
『標高50m右丘頂上の平坦部に東西約22m長さ16mの周豪の一部らしい跡が残っていて
他には遺構は残っていない。麓に古城、大手原、土居内などの小名がある。
昔の城は今言うようなものではなく、山麓に住み、合戦になったら立て籠もる所であった。』(山陽町史より)
物刈城も合戦になったら立て籠もると書いてあります。つまり<逃げ込み城>ということです。
(9:37)追記:どうやら物刈城はもう少し南のようです。
再追記: この奥にあるのが物刈城で間違いないようです。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは“ふるさとへの窓” (山陽小野田市 厚狭)
厚狭の景色を画像で残しておきたい
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棚田を形造る石垣は向かって右は最近のブロックが使用してあり、左側は昔からの石垣が残っています。
手前の坂の石垣も面白い。

この石垣に魅せられてしばし眺めていました。


下は今我が家にある本に載っていた雑誌の写真を撮ったものですが・・能登に今も残る七尾城の石垣です。

上杉謙信により包囲されるも1年にわたり持ちこたえたというお城。
もうひとつ下の明地城のこの全体の雰囲気が昨日の棚田の写真とびっくりするほど似ています。
真ん中の奥にお城があったそうです。これは<笠岡遊歩さん>から画像をお借りしています。

この2つはいずれも居城でなく<逃げ込み城>です。
ところでこのあたりにあった物刈城の場所はどこですか?。
ここは関係ない場所なのでしょうか?。
もう一度、書いておきます。
物刈城は
『標高50m右丘頂上の平坦部に東西約22m長さ16mの周豪の一部らしい跡が残っていて
他には遺構は残っていない。麓に古城、大手原、土居内などの小名がある。
昔の城は今言うようなものではなく、山麓に住み、合戦になったら立て籠もる所であった。』(山陽町史より)
物刈城も合戦になったら立て籠もると書いてあります。つまり<逃げ込み城>ということです。
(9:37)追記:
再追記: この奥にあるのが物刈城で間違いないようです。
どこにでもある風景だけど
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迫山の棚田
2012/05/15 Tue 07:00
今日のふるさとの窓はこちらです。
目の前がぱっと明るく開けてこの風景が信じられなかったです。

来て見るものです。これって棚田ですよね。

怖がりで物見山公園内も奥に行けなかったのに・・・
こんな素晴らしい風景が山奥に隠れていたのでした。
なんと向こうに見えるのは日本化薬です。

どこにでもある風景だけど
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来て見るものです。これって棚田ですよね。

怖がりで物見山公園内も奥に行けなかったのに・・・
こんな素晴らしい風景が山奥に隠れていたのでした。
なんと向こうに見えるのは日本化薬です。

どこにでもある風景だけど
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迫山の細道
2012/05/14 Mon 07:00
今日のふるさとの窓はこちらです。
木々が生い茂る山道をどんどん歩いて登っていきました。
その先に家があり それを横目で見ながらさらに写真の左の奥に進んでいきました。

この先は何があるのか皆目分かりませんが、
車の轍が刻まれた道の先に何があるのか?とても興味がありました。
ここまで来たらもう引き返せません・・・
でも蜂がたくさん飛んでいて、ちょっと怖かったです。
どこにでもある風景だけど
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その先に家があり それを横目で見ながらさらに写真の左の奥に進んでいきました。

この先は何があるのか皆目分かりませんが、
車の轍が刻まれた道の先に何があるのか?とても興味がありました。
ここまで来たらもう引き返せません・・・
でも蜂がたくさん飛んでいて、ちょっと怖かったです。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは“ふるさとへの窓” (山陽小野田市 厚狭)
厚狭の景色を画像で残しておきたい
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迫山の旧道を行く4
2012/05/13 Sun 07:00
今日のふるさとの窓はこちらです。
前にも書いた事がありますが、背景の竹薮にしっくり染まり格調高くなる家です。

名残惜しく眺めつつ 道から反れ、右のうっそうとした山道に入って行きました。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは“ふるさとへの窓” (山陽小野田市 厚狭)
厚狭の景色を画像で残しておきたい
そんな気持ちで黙って撮った画像の数々 どうぞご容赦を!
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前にも書いた事がありますが、背景の竹薮にしっくり染まり格調高くなる家です。

名残惜しく眺めつつ 道から反れ、右のうっそうとした山道に入って行きました。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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迫山の旧道を行く3
2012/05/12 Sat 07:00
今日のふるさとの窓はこちらです。
昨日のブログの写真を撮った日から5日くらい経った頃、又ここにやってきてしまいました。
このあたりは 昔『物狩班』と言われ武家の家が集まった格式の高い地域です!。
今でも充分その面影は感じることができます。


近くから見ると土塀と石垣が目立ちます。

川土手から見てもこの家はひときわ目をひきます。
以前川土手から撮った時のブログはこちらです。2009年11月のことです。
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このあたりは 昔『物狩班』と言われ武家の家が集まった格式の高い地域です!。
今でも充分その面影は感じることができます。


近くから見ると土塀と石垣が目立ちます。

川土手から見てもこの家はひときわ目をひきます。
以前川土手から撮った時のブログはこちらです。2009年11月のことです。
厚狭の景色を画像で残しておきたい
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迫山の旧道を行く2
2012/05/11 Fri 07:00
今日のふるさとの窓はこちらです。
昨日の続きです。
道を進むと、土塀と石垣・・ちょっと気になる家が見えてきました。

ここは以前は川土手の道路から遠くに見えるこの家を見つけ
撮ったことがあるのですが近くから見ると、この佇まいはただものではありません!。

もっとたくさん撮りたかったのに実はこの日はこれで終わったのです。
あまり眺め過ぎてはいけませんので・・・
この家の周辺一帯は武家屋敷の地域だそうで、他にもそれらしい家がありました。
昔はこの武家屋敷の地域を”物刈班”と言われていたが後に、合併でその名が消え、今は迫山になったということです。
こういう事もあと何年か後には忘れ去られてしまうかもしれません。
そういえば物刈城というお城があったと言う話、年代は分かりませんが・・・・。
『標高50m右丘頂上の平坦部に東西約22m長さ16mの周豪の一部らしい跡が残っていて
他には遺構は残っていない。麓に古城、大手原、土居内などの小名がある。
昔の城は今言うようなものではなく、山麓に住み、合戦になったら立て籠もる所であった。』(山陽町史より)
どこにでもある風景だけど
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厚狭の景色を画像で残しておきたい
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道を進むと、土塀と石垣・・ちょっと気になる家が見えてきました。

ここは以前は川土手の道路から遠くに見えるこの家を見つけ
撮ったことがあるのですが近くから見ると、この佇まいはただものではありません!。

もっとたくさん撮りたかったのに実はこの日はこれで終わったのです。
あまり眺め過ぎてはいけませんので・・・
この家の周辺一帯は武家屋敷の地域だそうで、他にもそれらしい家がありました。
昔はこの武家屋敷の地域を”物刈班”と言われていたが後に、合併でその名が消え、今は迫山になったということです。
こういう事もあと何年か後には忘れ去られてしまうかもしれません。
そういえば物刈城というお城があったと言う話、年代は分かりませんが・・・・。
『標高50m右丘頂上の平坦部に東西約22m長さ16mの周豪の一部らしい跡が残っていて
他には遺構は残っていない。麓に古城、大手原、土居内などの小名がある。
昔の城は今言うようなものではなく、山麓に住み、合戦になったら立て籠もる所であった。』(山陽町史より)
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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