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厚狭の中の領地関係略図

2015/05/25 Mon 06:00

5/22の「輝け厚狭の軌跡」に追記しています。

・・・・・・・・・・・・・・・

熊谷家を調べていると、山陽町史に「寛永の配置替」ということで こういう図が載っていました。

一見、私が書き込んだ手描きのように見えますが、山陽町史の図がこれです。

img114 (445x600)

厚狭毛利領の北側、ここ鴨庄の位置に熊谷領とあります。

点在する小さな円に斜線が描かれた地域は、長府毛利家の領土だった所で、いずれも境界線は不明ということです。
山野井の太田家は長府毛利の領地だったのですね。
領地は時代によって、変化しています。

町史によれば
「寛永2年の熊野検地に基づいて全国的に配置換えが行われた。
長府毛利の飛び地、一門家老厚狭毛利氏の本領、諸氏の給領地、および蔵人地が混在し
支配関係は非常に複雑であった。
鴨庄は17人の領地の入り交じり、末益村は8人・・・・」

厚狭は領地が入り乱れていますね~!それに蔵人!。

有帆に在住した宍戸家家老 福間家の系図に、「元禄の移転に際して鴨庄の居宅を熊谷氏の
家老、桐原氏に譲り・・津布田に移った」とあります。

鴨庄は次々と替地となったようです。

こんなややこしい厚狭を含む山陽町史をよくぞ完成されたと、当時のご苦労をしのびつつ町史を広げています。

神戸から厚狭に住まいを移し6年半、(その後、小野田で2年)、厚狭のことを何も知らなかった私に 様々な出会いをもたらした厚狭、今、こんなふうに偉そうに・・厚狭の歴史を紐解きながら書いています。
歴史が大嫌いだったのに・・どうしたことでしょう。

山陽町史を読み、ネットで調べながら書いていますが、理解力の足りない部分があって、説明不足もあるとは思いますが・・
そこはお許し下さい。

最初は「このブログは写真だけ載せるブログ、歴史はパスね」と 逃げておりまして、最近、説明をちょこっと書くようになり調べて行くうち、さらに厚狭にどっぷりハマりました。

写真だけ載せると言っても、写真が得意で見せたいということでなく、今までの経験から、
遠く離れた所でふるさとを想う・・
そんな方のために、故郷の景色を届けたい!それなら私にできる、そんな気持からでした。


FC2が消えるかもしれないという情報を知り、このブログは消してはいけないと、
大急ぎでバックアップをとったり面倒な移行作業をしています。

来月から新しいブログで 始めたいと思っています






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前原一誠旧宅跡

2015/04/21 Tue 06:00

今日は厚狭からちょっと離れて、市内小野田地区にある ここ「前原一誠旧宅跡」です。

今年の、大河ドラマ「花燃ゆ」では佐藤隆太さん扮する前原一誠。

「花燃ゆ」のドラマの中で前原一誠が「目出村から戻りました!」、また、ナレーションでも目出・・目出
なぜか?何度も何度も言っていました。


生まれは萩。「佐世八十郎」、前原家を相続し、前原姓となり、
「至誠にして動かざる者、未だこれあらざるなり」から26歳の時に前原一誠と改名します。

維新の十傑の一人と数えられ、明治政府の参議となった前原一誠が 後に政府に対する反逆、
萩の乱」の首謀者となって囚われ、死罪となる。死後、恩赦で贈従四位。
松陰の弟子の中では あまり有名ではないけれど、最期がドラマティックです。

(ここは小野田線目出駅から、川沿いに東へ徒歩8分の場所)
山陽小野田市の観光協会のページに説明文があります。

P1170410 (600x398)

最近、この立札を撮りに行き、「あれ?場所が違う」と気が付きました。
実は昔のこのあたりは 土地勘があり、この立札が建てられたのをウン十年前、見たことがありました。

私の思い違いもあるかも・・と、ずっと気になりながら・・日が経ち、
先日、年配の詳しい方に確認を取ったところ、やはり「今のあの表示場所は違う」と・・・
昔、歴史同好会のようなグループが建て、後に市が建てたそうですが、場所が変わったのは謎です。
(立札が抜いて放ってあったので、今の場所に建てたと・・いう人もありますが、定かではありません)


早速、私が覚えている場所の写真を撮りに行ってきました。

あの立札の場所からそのまま坂道を登って行くと、左に竹藪が見えてきます。

P1170411 (600x398)


反対方向から下りていくと・・右に見えます。

P1170415 (600x398)


登り窯の向かい側の竹藪。「この竹藪の中に井戸があるはず」と その方は言っておられ、このことは
別の方からも聞いていたので、間違いないということで、今日、急遽、これを載せます。

P1170406



この竹藪の坂道の下から三分の一あたり(?)に昔は「前原一誠旧宅跡」という立札が建っていました。

P1170413 (600x398)


昔はこのあたり酷いガタガタ道で、その後、きれいに舗装されたので、工事の都合で立札を抜いたのかもしれません。
それとも、本当の場所を示すのは都合が悪かったのでしょうか?。でも嘘はいけません。
このこと、ブログに書かなかったら、あのまま永久に・・・余計なことしない方が良かったか?


裏側から撮ったものですが、左に見えているのが、市の文化財「旦の登り窯」、その右の竹藪。
(実際は、道を挟んだ 斜め向かい側です)

P1170417 (600x398)


ここ旦の地は、昔から窯業が盛んだった土地。
前原一誠は6歳の時、この地にやってきました。
旦の窯業の始まりに、前原一誠の父親が関わったということで、一誠も焼き物を手伝ったという記録が残っています。


「厚狭から目出たい」という語呂合わせで、厚狭駅から目出駅までの切符が一時大人気でした。
そういう面からも、この地は厚狭とは切っても切れない場所だと分かり、ひがんばなとしては
またまた、不思議な縁を感じたのでした。

それにしても昔の記憶、よくぞ覚えていたと我ながら驚いているのです。

歴史嫌いでしたし、当時はネットもなく、知るのには手間がかかり、前原一誠っていったい何者?
知らないままで長い年月が経ったのです。


今日は文字がいっぱい、最後までお読みくださってありがとうございました。




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2014年初頭の枝村屋枕流亭

2014/01/30 Thu 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

新しい鴨橋の工事のために場所を移転した枝村屋枕流亭です。

P1120890 (600x398)

旧R2を挟んで向こう側に大福寺、とってもお似合いの建物です。

P1120895 (600x398)


ここの本館に豊臣公が休憩されたということですが
当時は建築物が平屋の家屋だけだったし、あの橋梁も無かっただろうし・・・
鴨ノ庄あたりまで眺められ、その向こうに松嶽山があったののだろうと想像して
遠くを眺めてみました。


P1120892 (600x368)




どこにでもある風景だけど
     ここが故郷の人には ここは思い出の場所
    
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岡崎熊吉の墓を囲む土塀

2013/01/22 Tue 07:00

岡崎熊吉の墓をとり囲む土塀。

あまりにも古い土塀で、捨て置けず・・世に出してあげたくて、こうして載せることにしました。

12100233.jpg


こういう土塀を見ると、厚狭のあちこちで見つけた屋敷の片隅で今にも土に戻って
しまいそうな崩れ果てた土塀の数々を思い出します。


12100232.jpg

私にとって、そういうのを見る事ができたことが厚狭に住んだ収穫でもあります。



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岡崎熊吉の居宅跡

2013/01/20 Sun 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

赤川の316号線傍にある岡崎熊吉の家の跡地です。

熊吉は10歳で萩藩に仕えた父を亡くし、20歳で結婚、赤川にある妻の実家近くに居を構えたそうです。

12100235.jpg

妻の実家もこの近くにあったということです。

12100236.jpg

ここは以前、通りかかって何か心惹かれ、自転車を停め ここまで歩いたことがあったのです。

その後、岡崎熊吉の家だったと知り驚いたのでした。

井戸が残っています。

12100237.jpg


鶏頭の花を見て・・・ふと正岡子規を思い出していました。

おっと話が逸れました。

この日は松嶽山、奥の浴、物見山などに行った日に立ち寄ったのですよ。
(去年、9月に転んだ日です
もう随分経ちましたが、やっとアップできました。


寒い間はこうやって撮り溜めた画像を小出しでいけば、何とか続けられそうです。
ですから・・・ちょっと鮮度に欠けるブログになりますが、よろしくお願いします。


厚狭の町がどんどん変わっていくので古い写真の方が値打ちがあるかも!
昨日ふとそう思ったのでした。



2/17(日)am11:00~
鴨橋で親子ふれあいマラソンが行われます。
http://www.sanyo-yeg.net/

主催:山陽商工会議所青年部
共催:鴨橋に感謝する会



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幕末の武士岡崎熊吉の墓

2013/01/17 Thu 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

赤川にある岡崎熊吉の墓です。

12100234.jpg


岡崎熊吉 1832-1864 幕末の武士。
天保3年生まれ。長門(山口県)藩校明倫館の会計吏。
文久3年下関での外国船砲撃の際 会計をつとめる。
元治元年『禁門の変』で来嶋又兵衛に先んじ蛤御門で戦死。33歳。
京都から母と妻子のもとに届けられた遺髪は、赤川虚空蔵堂境内に埋葬された墓標が建てられました。


ここには遺髪が埋められたそうですが縁のある方は、ここにはもう住んでいらっしゃらないようですが
お墓は地域の人が護っておられるようです。


地図で場所の特定が難しいのですが・・・多分ここ??来聞寺のところだったか?。

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殿町三区公会堂

2012/12/02 Sun 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

なんだか分からないまま撮って・・・
説明文が書けなくてほっちっち、そういう場合大抵、画像を捨ててしまうことが多いのです。

貞源寺保育園のそばの殿町三区公会堂は鳥居付き

12050602.jpg


ここの庭には水神様が祀ってあり、庚申塚もある場所。

12050603.jpg

「水神社境内」 ふむ・・・ここが境内だと・・?

全ての占有地を境内と呼ぶとは限らず、聖域として他から区別している敷地のみを境内と呼ぶ事もある
そうですが・・

ここから右へ入った川の消防道路はすでに工事が始まっています。
消防道路の大木が4本伐採されてもう大分経ちました。



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招魂場からの眺め

2012/11/08 Thu 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

招魂場からの眺めは以前にも載せました

12100222.jpg



この日、招魂場の碑を全部を眺めて廻りました。向かって左(奥の方)にあるのは知らなかったのです。
その中に・・あの山下裕大尉の碑。

12100221.jpg


山下大尉と言えば、山下記念町立厚狭図書館を寄贈されたお宅。

ここから見える景色の中に、その図書館の建物(屋上が緑色)が見えました。
山下大尉はこの高い物見山から、図書館を眺めておられたのかもしれませんね。

12100227.jpg


その図書館の近くに昔の厚狭小の校舎も残っているそうですが・・・。
話を聞きながら大体このあたりだろう。。と撮ったのですが・・入ってますか?。







秋祭りのポスターの下の部分をアップで撮ってきました。

12110704.jpg





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奥の浴 蔵田家屋敷跡

2012/10/31 Wed 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

歴史が苦手でこのブログは風景写真だけにして逃げていたのですが・・・
ここにきて自転車ではとうてい行けない場所に連れて行ってもらえることになったのです。
9月19日のことでした。

。。。さん、・・・さん、ありがとうございました。


ここにある写真の風景の謂れを書かねばなりません。

気にはなっていたけれど・・日にちばかりが経っていき、後から撮った風景写真を先に載せ、
この日の記事は後に後にと・・先送り。

やっと、町史を広げ、スキャナーで取り込みました。

12101600.jpg
山陽町史327ページの写真、上の景色が今も変わらず残っている奥の浴です。


本当ーーーーーーに良いところでした。

12100241.jpg


目はこの景色に釘付け!


12100243.jpg

蔵田家から見下ろす風景にあたるこの景色に見とれてしまい足元の砂利に足をすくわれ、
胸に下げたカメラを守るため余計に不安定な姿勢になって滑ったもので、
両膝はずる剥け、手足打撲の名誉の負傷!。

これが↓恨みの景色となったわけです(笑)。

12100244.jpg
この写真の中央坂道が下の写真の石垣の傍の坂道になります。
カメラ位置付近で転んだのです。


今も残る蔵田家の屋敷の石垣

12100245.jpg

蔵田家
大内氏に仕え後に毛利家の家臣となり給領地として松が瀬村奥の浴を給わった家柄。

蔵田幾之進
長州萩藩士二百五十石蔵田信豊の長男
武芸群を抜き、藩校明倫館の道場で柔術、居合、長刀の家伝三流の師範を勤めた。
高杉晋作が 奇兵隊とは別個に 先鋒隊を創ったとき、幾之進も隊士に選ばれた。
しかし奇兵隊との身分的な対立。奇兵隊数十人が、裏町教法寺の先鋒隊本陣に押しかけた。
先鋒隊の大部分は裏口から逃げたが、居残った五人は白刃を抜いて奇兵隊士と斬り結んだ。
腕に覚えのある幾之進も奮戦して重傷を負い、その晩絶命した。
行年三十四歳。
末裔は美祢市厚保本郷におられるとか。


今回は地図はどこと限定が私にはできないので、大体の場所です。

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とりあえずこの風景を載せただけで、この厚狭ブログに<箔がついた!>と自己満足しています。


自転車では絶対に行けない場所に連れて行っていただいて本当に良かったです。
この日、まだまだたくさんの他の場所へ行ったのですが・・一度に書くにはエネルギー不足につき、
また後日・・・ぼちぼちと載せていきます。



さて・・・10月も今日で終わりです。

ここで皆さんにおしらせがあります。

突然ですが、先日びわ子さんもおっしゃって下さいましたが、お言葉に甘えることにして、
このブログの日々更新から不定期更新に変更させていただくことに決めました。
また、載せる写真が季節に合わないこともあると思います。

(最近ちょっとその傾向があるのはお分かりですね)ともかくよろしくお願いします。

そう書いたら少し気が楽になりました。





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移築前の枝村屋枕流亭

2012/10/18 Thu 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

保存が決まった枝村屋枕流亭。
10月には豊臣秀吉のお休み処の歴史を持つ枝村屋枕流亭の建物の移築があるとは聞いてたが
いつなのか?分からない。
もしかして?もう終わってるかも・・と、ちょっと前に確認に行ってみた。

12101407.jpg
旧国道2号線のすぐ向こうの空き地に向こうから引きずってくる。


この時は移築予定の場所の基礎工事中でしたが、これをアップする頃に終わってしまっているかもしれません。


川沿いの消防道路側から見上げて撮りました。

12101404.jpg

こんなに川が近いから、枕の下を川の流れの音が聞こえるのですね。

吉井勇が祇園を詠んだ歌の記念碑(祇園にある)

『かにかくに 祇園は恋し寝る時も 枕の下を水の流るる』

260-1.jpg

枕流亭の名前を最初に聞いた時、この歌を思い出したのです。
吉井勇は「命短し恋せよ乙女」の作詞をした方です。

厚狭の枕流亭との関連は何もないけど・・本当にここは川の名前も昔は鴨川と言われ
橋も鴨橋ですからね。関連を感じてしまいます。


どこの建物が枕流亭か分からない方は。こちらをご覧下さい


一番上の写真を撮っていた時、新幹線が通るのが見えました。
で・・・やっぱり、こうなりました。

枕流亭&鴨橋&新幹線  初の揃い踏み!  

12101409.jpg

背の低い私がこれを撮るのにはどれだけ大変だったか分かります?



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