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殿町へ

2014/05/17 Sat 07:00

今日からしばらくは殿町を行きます。

このシリーズはkiriさん提供の画像です。
人様の画像で何とか続けることができます。ありがたいことです。


この画像は「杜のまち 厚狭」のブログで使っているものですが、本町商店街、村谷茶舗です。
もりなが松陰堂の隣です。

20140202154322ba5.jpg



殿町へは村谷茶舗さんの角を南に入ります。
上の写真だと左に曲がって入ったところです。

k01961.jpg


街道筋の本町からちょっと入ったら殿町になるそうです。(知らなかったのは私だけですが・・)
殿町は言わずと知れた厚狭毛利家のお屋敷があった場所、お武家さんのお屋敷が多かったはずです。

なのでこのあたりから殿町付近が、私が厚狭に夢中になったはじめの場所とも言えます。

思い出します!。

厚狭に住んでしばらくして、「殿町に行くと土塀に囲まれたお屋敷がたくさんあるよ」と聞き、
「どこですか?殿町って?」

大喜びでカメラ持参で自転車に乗って・・・自転車ごと田んぼに落ちたことがありました。
(落ちるのが不思議なんですが・・・帽子を寝太郎水路に流したり・・結構ドジなひがんばなです)
買ってまだそう日が経ってなかったデジカメが、この日ダメになったのです。

殿町と聞くと、そういう失敗もあったことを・・今は懐かしく思い出します。

あの時、厚狭の町の探索を止めてたら・・
このブログでの皆さんとの出会いや、こうして次から次へと画像が届くこともありませんでした。




どこにでもある風景だけど
     ここが故郷の人には ここは思い出の場所
    
        このブログは“ふるさとへの窓” 
 (山陽小野田市 厚狭) 


厚狭の景色を画像で残しておきたい
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妙徳寺の厚狭毛利家のお墓

2011/12/25 Sun 07:00

世はクリスマス

ここでは厚狭毛利家関連のお墓・・

毛利家のお墓と言えば洞玄寺。
今日は洞玄寺ではなく妙徳寺

天正十年(1582)、厚狭毛利家2代、元康の建立。
寛永年中に芸州から棚井へ移り、寺号を本久寺と改める。
その後、末益村に移り、正徳三年(1713)には妙徳寺と改める。

11110804.jpg

後方に並ぶのは家臣団のお墓。
裏のバイパス工事の折、ここに寄せ集められたそうです。

一番大きいのは奥方のお墓、隣が息子、両脇が側室




ということで下の写真の左から2番目の側室の墓標の戒名に妙徳という文字が見えます。

11110811.jpg


こんなに集まるとすごい!です。


寒いです!。
昨日の朝、鴨橋の傍に立っていたらみぞれが降り始め大急ぎで退散しました。




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今日のふるさとの窓はこちらです。


厚狭毛利家居館址の表示です。
確かにここに厚狭毛利家があった場所。

11081103.jpg


厚狭毛利家は『四本松毛利家』と言われていたことを何の本だったかで読んで
気になったのがこの石碑です。
四本松と書いてあります。

11081101.jpg


これは現在、厚狭毛利家居館址の標識が建つ場所の道路を挟んだ向かい側の
日本化薬の祠の鳥居の下にあります。

この祠は厚狭毛利家とは関係ありませんが、よく間違えられます(私も間違えました)

11081102.jpg


この石碑は付近の一般のお宅の庭から掘り出され日本化薬の祠の敷地に
とりあえず置いたものだそうです。
昔はその家も厚狭毛利家の敷地内でした。



もう一度、厚狭毛利家の屋敷の平面図を載せます。




おそらくこういう位置にあっただろうと想定して、航空写真の画像と平面図を
合成して作りました(2010年2月のことでした)。
現存する西側の石垣を基本に図面を当てはめました

赤いマークのあたりに一番上の写真の居館址の標識がある場所になります。





現存する厚狭毛利家の石垣



ここは私有地ですから勝手に見る事ができません。それが残念です!。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10月1日から開催の『厚狭毛利展』のお知らせをしておきます


11092500.jpg

11092501.jpg



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旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

2010/08/22 Sun 08:08

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今日は厚狭ということで

厚狭毛利家萩屋敷長屋

厚狭毛利氏は、元就の5男元秋を始祖とする毛利一門で
山陽道の宿場であった厚狭に知行地があったので厚狭毛利と呼ばれていた

10081201.jpg


7月の下旬、萩から石見銀山まで足を延ばしてきました。

萩で撮ったのは・・・・・それはここでしょう!


安政3年に建った萩に現存する最大の武家屋敷

10081202.jpg


10081203.jpg


中に入ったのに、撮るのを忘れてしまいましたが中間部屋というのは
話が聞こえないように壁で仕切ってあったのが印象深いものでした。

お侍衆とは位が違う!というところでしょうか。



この厚狭のブログに加えたくて以前から行きたかったところです。
なにしろ厚狭の毛利家の建物が現存ですから!

厚狭には「厚狭毛利家居館跡」しかありませんからね。

そういえば、跡地を巡って、今年の2月にはいろいろとありました。
(カテゴリーで分けてありますのでそちらから ご覧いただけます)




さて、その長屋の入口で

「厚狭からきました」

余計なことですが、言いました。



あの水害の日からそんなに日数が経ってなかったのですから・・

でも「・・・・」無反応!

「あれ?」ちょっとがっかり


私だったら「厚狭は大変でしたね!被害はどうでしたか?」
これくらいは言ったでしょう・・・

泊まった津和野のお宿では

「厚狭は大変だったでしょう?お宅は大丈夫でしたか?」

心配する言葉をいただきました。


民間とお役所の差ですね。





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2010.3.23
今日のふるさとの窓はここです。
川土手に戻ります。


鉄橋から少し南に行くと対岸に、かつて厚狭毛利家
敷地だった場所が見えてきます。→厚狭毛利家居館跡地ことはこちら

前にここを通った時は 対岸のことは何も興味がなかったのに
この敷地のことを知ってからは、やはりここから見る目も違います。

お屋敷が川沿いに建っていたことなんか考えてもいなかったですが・・

石垣の外のお堀のようなのは、この川の延長だったのか?

このあたり、船着場はあったのか?なかったのか?

下津から年貢米を船で萩屋敷へ積み出したということだから
港は下津だったのか?

まだまだ分からないことだらけで!興味は尽きません。





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このテーマはシリーズとなっていますのでこちらからお読み下さい。

このテーマはシリーズとなっていますのでこちらからお読み下さい。
厚狭毛利家敷地探索1(2010.2.12)→こちら
厚狭毛利家居館探索2→こちら
厚狭毛利家居館探索3→こちら
厚狭毛利家居館探索4→こちら
厚狭毛利家居館探索5→こちら
厚狭毛利家の厚狭の居館(2010.2.21)→こちら



今日のふるさとの窓はここです。(追記は赤文字


この竹藪は、かの昔、厚狭毛利家の敷地の外に見えていたものでは?
昔の写真にも敷地の外に竹薮が見えます。


居館が建っていた場所方向、左の部分がこの竹薮です。



これが写真です!

解体前の毛利家の家屋は相当傷んでいたようです。
時代が時代ですから・・・


こんな家屋の蔵や、門や、茶室が払い下げられたのだから
それは、もう惨憺たる物件だったはずですが、家臣はありがたく頂戴したのでしょう。



厚狭毛利家をあまり知らず、今まで書いてきましたが
あらためて、山陽町史を広げてみました。

厚狭毛利家の十代目 毛利元美は土着令が出たため厚狭の居館に入り
そのまま厚狭に居住。

明治維新で領土を国家に返上
明治18年(1885) 61歳で死去。

梶浦開作の造成、石炭の採掘、朝陽館の復興など産業や教育に
力を注ぎ、歴代当主の中でも一番厚狭との関係が深かった。
その夫人、毛利勅子が明治元年に創設したのが船木女児学校(現、厚狭高校南校舎)。


その後は、
12代目の長男、次男ともに戦死。
貴重な古文書も厚狭図書館に寄贈されたそうです。。

杣尻、野中、下津、迫山、鳥越、吉部田、沖部などに65軒の家臣の家が
あったそうです。
その他にも船木村や高佐村(元、阿武群むつみ村)などにも家臣が住んでいた。

代々の墓は洞玄寺にあります。



もう1枚、居館跡の石垣の画像が残っていました。





追記
その後の調査で想像して、これが厚狭毛利家の居館があった場所では?と思われます。
画像の赤マークの上付近が、居館跡の立て札があるあたりです







これで厚狭毛利家居館跡はひとまず終わりと致します。



この期間、たくさんのアクセスがありました。

遠く故郷を離れた方も懐かしくご覧になったのでしょうか?
それとも、歴女の方が 興味を持って見てくださったのでしょうか?

市外の方がドライブコースで立ち寄り先の資料のお目に止まったのか?


様々な方が見てくださっていた事は とても嬉しいことでした。

厚狭の町がこんなに魅力ある町だったとは実は私も驚いたのです。


これからも厚狭の歴史を学びながら、ここに載せていこうと思います。

又 いろいろと教えてください。

さて・・明日はどこにいきましょうか?。




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厚狭毛利家敷地探索5

2010/02/18 Thu 00:06

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2010.2.18
このテーマはシリーズとなっていますのでこちらからお読み下さい。
厚狭毛利家敷地探索1(2010.2.12)→こちら
厚狭毛利家居館探索2→こちら
厚狭毛利家居館探索3→こちら
厚狭毛利家居館探索4→こちら
厚狭毛利家居館探索5→こちら
厚狭毛利家の厚狭の居館(2010.2.21)→こちら


厚狭毛利家の石垣の写真は提供していただいた画像でした。
もう済んだことなのですが、
どうしても自分の目で現地を見たくて 行って撮ってきました。

この奥に正門がありこの石垣の上に4本の松があったのです。


この角になった石垣が、図面を現地に当てはめる位置を知る手がかりになりました。

ちょっと斜めになって撮ってますので右に傾いてご覧下さい

真ん中あたりの隙間に茶碗のカケラが入っているのを見つけました。
江戸時代の頃の器のようです。


この写真を撮ったあと、後の畑に キジが舞い降り。
歓迎されているような気がしました。

大急ぎで慌てて撮ったので見事、ピンボケでした。



偶然ですが1年前も同じ場所の事を書いてました。


この地で、初めて厚狭毛利家居館跡の表示を見つけ
まん前の祠がてっきり厚狭毛利家の関係あるものだと勘違いし
[#IMAGE|S15#]写真をとっていましたが・・この間違いは、私をはじめあちこちのブログでも見受けられます。


団体で見物に来られる昨今、、表示が不十分です。

唯一関係あるとすれば・・・石の鳥居の下の「四本松」の文字の石碑




毛利家の敷地内の四本の松の関連だと思いますが
追記(2011.1.17)厚狭毛利家は四本松毛利と呼ばれていたようです。

後年、毛利家の井戸が残るあるお宅の庭から見つかり、
ここに埋められたものだそうです。

この神社は毛利家には関係ないので・・・勘違いの元では?。


この祠のある敷地のの空き地に、厚狭毛利家の建物の
図面にある、講堂の「学館・朝陽館」が建っていたそうです。

つまり一昨日の下の方の図面がほぼ合っているようです。


「朝陽館」は、現在、厚狭高校南校舎の弓道場ではないかと・・・名前も同じです。
追記 訂正/名前だけ取って新たに建てられたものだそうです。

厚狭高の前身の女学校は、厚狭毛利家の奥様が作られたものだからきっとそうでしょう。
その頃の厚狭毛利家の奥様はやり手で すごい方で、
長州の女の代表のような方だったようですが・・・
ご主人は、どうやら・・あまり目立たないというかやる気の無い方だったようです。



昨日の厚狭毛利家の正門ですが
現在のの門よりもっと横に幅がある門だったそうです。







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2010.2.17 (下の方に追記あり・・赤文字)
さて、厚狭毛利家居館(きょかん)跡の石垣のことが済みました。

大体の屋敷があった位置も勝手に想像させてもらったところで・・・

もう一度、厚狭毛利家の屋敷の図面を載せます。

ここに と、二階建家屋本門が家臣だった家に払いさげられています。


実は大分前、厚狭図書館に尋ねて調べてもらいました。

そして分かった門のあるお宅の在り処。

今日のふるさとの窓はここです。



この門は、現在は改築後で門は当時のものではありませんが、それらしい風格が伺えます。


上の図面に名前が書いてありますが一応、ネットでは名前を伏せておきます。

[#IMAGE|S58#]その御宅を初めて訪ねたのは、稲が青々と繁った夏の頃でした。

武家の家筋のお生まれの奥様に
是非お話を伺いたかったのですが・・・留守・・そのあと、何度もお留守でした。

7度目のお留守で諦めお屋敷を後にし、その後は傍を通っても
ただ眺めているだけになりました。

その時は もう稲はたわわに実り、刈入を待つばかりの頃でした。
(この部分の写真削除しました)


その後、ここに載せるタイミングを伺っていたのですが・・
ついに年を越してしまいましたが、
やっと、他のことも合わせて、厚狭毛利家シリーズで載せる運びとなったわけです。

でも本当は蔵も屋敷も行く先を追いたかったのですが・・
あとは、皆様の情報に頼ろうと・・そういうワケですので
又、ご存知でしたら教えて下さい。

追記(2010.2.17)
以前あったここの門はもっと横幅が広かったそうです。




いや~厚狭は本当に面白い町です!。




おしらせ
2010年度のおひな様めぐりは2/28~3/14です。
3/13~3/14には福引、鏡開き、着付け体験、各種接待などがあります。





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2010.2.16
このテーマはシリーズとなっていますのでこちらからお読み下さい。
厚狭毛利家敷地探索1(2010.2.12)→こちら
厚狭毛利家居館探索2→こちら
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厚狭毛利家の厚狭の居館(2010.2.21)→こちら


今日のふるさとの窓はここです。(追記/赤文字の下に地図を入れました

ちょっと分かりにくいでしょうが・・・昨日の続きです。
この竹林の奥にあるものが・・・


これらの画像は、ある方がこのブログを見て
急遽、数日前、現地に行かれ撮ってきて提供してくださったものです。

私はまだ現地を見てないのですが・・・実はこの竹林の奥に
厚狭毛利家の屋敷の石垣が残っていたのです。



私が「ないない!」と言っていた石垣は、なんと厚狭川に向いたほうに
あったというわけです。






石垣と、この絵の左の石垣の位置を、あれこれと想定してみるのですが

この石垣の角にあたる部分がどこにあったか?
分かれば、もう少し分かってくると思います。



これはやはり、現地に足を運ばないと分かりません。



結論を急ぐ性格なので・・得意の妄想で、昨日の図面を又修正してみました。

お屋敷は もう少し小さかったようです。


黄色いところが石垣がある場所のようです。


追記、図面はもう少し上にあたります。
夜中にアップしたのですが、新たな情報を元に大至急作り直してみました↓。(2/16 am9:41)
従って・・石垣の位置も変わります。なにしろまだ場所を見ておりませんので・・)




最近、このあたり、観光客も結構あるようで、団体も見えたそうです。
温かくなったらもっと増えると思います。


赤く囲った場所、あの祠がそうだと思って写真撮って帰られるようです。

あれは市が設置したものではなく、
驚くことに、日本化薬が設置したものだとか・・

やはり説明板の設置をお願いしたいものですね。




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3/13~3/14にはイベントあり



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厚狭毛利家の敷地探索3

2010/02/15 Mon 00:04

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2010.2.15 1箇所追記があります(赤い文字です)
昨日はとんだ勘違いをしておりました。

日本化薬の独身寮を、間違えてまして 
ぜんぜん話が合わなかったことかと・・

と言うことでリベンジ・・・まだ諦めません。


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実は井戸が見つかりました。

建物の下に埋ってしまったのもありますが、現存は3つあるのだそうです。

その中の1つだけ画像をご紹介します(ある方から画像の提供を受けましたので)
とても毛利家らしいので・・・・私の思った通りのイメージでした。


これは民家の庭にあるので、場所は秘密です。



そして今日のもう一つの画像は・・・2/11の図面を利用して
私が勝手に妄想を働かせ、作ったものです。

縮尺がデタラメですが・・なんとなく合いそうな気がしたものでこうなりましたが、
違うかもしれません。

たとえばの話です!(赤い部分が現在の居館跡の祠がある場所)。


昔の地図と、今の画像を合体させました(十字路を合わせただけですが)

こういうので、説明して、立て札を掲示して下さったら
わざわざ遠くから調べに来られた人も、満足してお帰りではないかと・・・
その見本です。


さて最後に・・・今日のふるさとの窓はこれです。

厚狭川土手から撮った、厚狭毛利家の屋敷があった方向です(茂みの向こう側)。
手前はお堀だったそうです。 (一つ上の画像の左方向から撮っています)
これで私の疑問も晴れました。
明日はさて・・何にしましょうか?

いや~厚狭って本当に面白い




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