鴨ノ庄の蔵
2009/10/31 Sat 08:40
09.10.31

今日は蔵です。

以前鴨ノ庄で撮った中には 入ってないということは
恐らくこの道が初めてだったから見つけられなかったのでしょう。
上の蔵の写真、どこかで見た事があった・・・と探してみたら
ありました。
上の蔵からもっと西方面で撮った蔵です。
こちらは一部の壁がトタンになっています。

なかなか派手です。家紋入りの蔵です。
余談ですが・・・
このブログを開設して思うようになったのが昔の地名は残して欲しい!と思うこと
地名には歴史が刻まれているのだから・・・・
何も知らない人だけで・・・簡単に町の名前を変えてはいけないと思う。
この町は、まだまだ歴史が明らかにされてないような気がする。
そう思いながら・・・何もできないのがもどかしい。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは“ふるさとへの窓” (山陽小野田市 厚狭)
厚狭の景色を画像で残しておきたい
そんな気持ちで黙って撮った建物の画像の数々 どうぞご容赦を!
ご協力があればこそ!お陰様でこのブログが続けられます。
もしご都合悪ければ、お知らせ頂ければ削除致します
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以前鴨ノ庄で撮った中には 入ってないということは
恐らくこの道が初めてだったから見つけられなかったのでしょう。
上の蔵の写真、どこかで見た事があった・・・と探してみたら
ありました。
上の蔵からもっと西方面で撮った蔵です。
こちらは一部の壁がトタンになっています。

なかなか派手です。家紋入りの蔵です。
余談ですが・・・
このブログを開設して思うようになったのが昔の地名は残して欲しい!と思うこと
地名には歴史が刻まれているのだから・・・・
何も知らない人だけで・・・簡単に町の名前を変えてはいけないと思う。
この町は、まだまだ歴史が明らかにされてないような気がする。
そう思いながら・・・何もできないのがもどかしい。
どこにでもある風景だけど
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鴨ノ庄の納屋
2009/10/30 Fri 09:09
09.10.30
昨日、鴨ノ庄の納屋を紹介したので
今日も同じく 鴨ノ庄の納屋2種
空き地にポツンと建つ納屋。
敷地内に背の高い御影石の門柱が2本建っている(写真には入ってないですが・・)
以前鴨ノ庄を紹介した時、入ってなかった黒い瓦の納屋。
黒い瓦の納屋だから見逃したのかも知れない。

良く見ると・・こちらは雨どいが付いています。
この納屋の裏には、以前ここで紹介した<貨車の小屋>がある。
大きな納屋です。
この持ち味が好きなんです!
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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今日も同じく 鴨ノ庄の納屋2種
空き地にポツンと建つ納屋。
敷地内に背の高い御影石の門柱が2本建っている(写真には入ってないですが・・)

以前鴨ノ庄を紹介した時、入ってなかった黒い瓦の納屋。
黒い瓦の納屋だから見逃したのかも知れない。

良く見ると・・こちらは雨どいが付いています。
この納屋の裏には、以前ここで紹介した<貨車の小屋>がある。
大きな納屋です。
この持ち味が好きなんです!
どこにでもある風景だけど
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大邸宅の納屋
2009/10/29 Thu 09:19
09.10.29

以前この邸宅の母屋や全景は載せたことがあった。→こちら
そう言えばこの納屋は前に撮ってなかった。
なにしろ母屋や門がすばらしくて・・納屋には目が行かなかった。
その後、納屋が面白いと気が付き改めてこの日 納屋を撮ってみた。
納屋だけで普通の家の敷地分ですから・・ただただすごいと思います。
隣に少し見えるのは、二番手の長屋門風の二の門(大門ではないという意味)
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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そう言えばこの納屋は前に撮ってなかった。
なにしろ母屋や門がすばらしくて・・納屋には目が行かなかった。
その後、納屋が面白いと気が付き改めてこの日 納屋を撮ってみた。
納屋だけで普通の家の敷地分ですから・・ただただすごいと思います。
隣に少し見えるのは、二番手の長屋門風の二の門(大門ではないという意味)
どこにでもある風景だけど
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山野井の大庄屋 5(石垣&塀)
2009/10/28 Wed 07:47
09.10.28
山野井の大庄屋の家(太田家)、最後は石垣&塀です。

築307年、風格があります。
回りをぐるりと回って見ましたが・・・裏のお宅は点のない大田姓のようですが、昔医者だったとか・・
元々は同じ家の分家だと思われます。
このあたりに酒蔵が建っていたのではないかと思いました。
さて長府毛利藩の藩主がこの家を訪問した時のエピソード
藩主がここを訪ねた折のお付が乃木大将のお父上。
殿様のお膳やお椀を透かして見て一つでもゴミが付着しているのを許さなかったそうで
取り替えさせさせられ女中は「又嫌なジジイが来た!」と敬遠したとか。
食事中も、殿に「次はこれ、その次はこれ!」と指図したそうな。

ここは旧山陽街道がそばを通っています(↑手前が街道になります)。
船木宿から厚狭商店街(旧山陽道)から鴨橋を渡り、90度曲がり 厚狭駅新幹線口側に抜け
桜川を渡り、七日町~山野井八幡宮~長友(国道2号線を横断)~福田~吉田宿へ抜ける街道です。
■ここは丁度旧国道2号線を横断する長友の位置に当たります。
しかし・・広島にある造り酒屋の太田家とは全然違います。→こちらと比べてみてください。
ということで・・このシリーズは今日で終わりです。
これでやっと<厚狭 太田家>の検索でこの家が出てくるようになりましたが・・・
こんなに古い歴史のある家ですから、保存したいものです!無理なのでしょうか?。
どこにでもある風景だけど
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山野井の大庄屋の家(太田家)、最後は石垣&塀です。

築307年、風格があります。
回りをぐるりと回って見ましたが・・・裏のお宅は点のない大田姓のようですが、昔医者だったとか・・
元々は同じ家の分家だと思われます。
このあたりに酒蔵が建っていたのではないかと思いました。

藩主がここを訪ねた折のお付が乃木大将のお父上。
殿様のお膳やお椀を透かして見て一つでもゴミが付着しているのを許さなかったそうで
取り替えさせさせられ女中は「又嫌なジジイが来た!」と敬遠したとか。
食事中も、殿に「次はこれ、その次はこれ!」と指図したそうな。

ここは旧山陽街道がそばを通っています(↑手前が街道になります)。
船木宿から厚狭商店街(旧山陽道)から鴨橋を渡り、90度曲がり 厚狭駅新幹線口側に抜け
桜川を渡り、七日町~山野井八幡宮~長友(国道2号線を横断)~福田~吉田宿へ抜ける街道です。
■ここは丁度旧国道2号線を横断する長友の位置に当たります。
しかし・・広島にある造り酒屋の太田家とは全然違います。→こちらと比べてみてください。
ということで・・このシリーズは今日で終わりです。
これでやっと<厚狭 太田家>の検索でこの家が出てくるようになりましたが・・・
こんなに古い歴史のある家ですから、保存したいものです!無理なのでしょうか?。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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山野井の大庄屋 4(三の門)
2009/10/27 Tue 08:28
09.10.27
昨日のつづきです。

[#IMAGE|S27#]大門を挟み右に二の門、そして左側に回りこむと三の門があった。
多分、こちらは中でも一番小さいので通用門かと。
この中の家屋は見えないが・・・
相当大きな家屋があるようです。
このお屋敷や門ができたのはいつ頃でしょう?。

なんと!
赤穂浪士が討ち入りした日
元禄15年(1702年)12月14日が偶然にも棟上だった。
徳川綱吉の時代です!
江戸盛期の庄屋建築の特色をハッキリ残している建物だそうです。
比較のため、再度門をここに載せます。
(門の名前は区別の為私が付けたものですが正式名をご存知でしたら教えてください)
厚狭、太田家の大門

二の門

これでネット検索にこのお宅がしっかりと出てくるようになるかと・・・
(今までは広島の太田家しか出てきませんでしたのであえてここに名前を載せました)
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[#IMAGE|S27#]大門を挟み右に二の門、そして左側に回りこむと三の門があった。
多分、こちらは中でも一番小さいので通用門かと。
この中の家屋は見えないが・・・
相当大きな家屋があるようです。
このお屋敷や門ができたのはいつ頃でしょう?。

なんと!
赤穂浪士が討ち入りした日
元禄15年(1702年)12月14日が偶然にも棟上だった。
徳川綱吉の時代です!
江戸盛期の庄屋建築の特色をハッキリ残している建物だそうです。
比較のため、再度門をここに載せます。
(門の名前は区別の為私が付けたものですが正式名をご存知でしたら教えてください)
厚狭、太田家の大門

二の門

これでネット検索にこのお宅がしっかりと出てくるようになるかと・・・
(今までは広島の太田家しか出てきませんでしたのであえてここに名前を載せました)
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは“ふるさとへの窓” (山陽小野田市 厚狭)
厚狭の景色を画像で残しておきたい
そんな気持ちで黙って撮った建物の画像の数々 どうぞご容赦を!
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