厚狭川の堰の跡
2010/01/31 Sun 08:47
2010.1.31
今日のふるさとの窓はここです。
旧山陽街道がらみですが、1940年代の航空地図を見ていて
あることに気がついたのです。
これは何?
上が鴨橋 下に鉄道が通っていますがその中間にあるもの

鴨橋の南 川の中にある・・橋のような線それも旧山陽道と一直線に
それが、堰だと分かったのです。
堰止めて・・すると船で渡してた痕跡か?
ともかくそれがあるかどうか?と厚狭川に行ってみました。
ありました!

真正面の赤い矢印が あの消えた旧山陽道に入る道

長い歴史を刻んだ堰です

ということで・・見つけた時はすごーく嬉しかったです。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは故郷への窓 (山陽小野田市厚狭)
今日のふるさとの窓はここです。
旧山陽街道がらみですが、1940年代の航空地図を見ていて
あることに気がついたのです。
これは何?
上が鴨橋 下に鉄道が通っていますがその中間にあるもの

鴨橋の南 川の中にある・・橋のような線それも旧山陽道と一直線に
それが、堰だと分かったのです。
堰止めて・・すると船で渡してた痕跡か?
ともかくそれがあるかどうか?と厚狭川に行ってみました。
ありました!

真正面の赤い矢印が あの消えた旧山陽道に入る道

長い歴史を刻んだ堰です

ということで・・見つけた時はすごーく嬉しかったです。
どこにでもある風景だけど
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旧山陽道 山野井七日町
2010/01/30 Sat 10:04
2010.1.30
今日のふるさとの窓はここです。

鴨橋を渡り、90度曲がって旧山陽道をここまできました。

この道を抜けると山野井工業団地へ行く道に突き当たります(前に少し見えてます)。
その道に出ると左にお地蔵さんがたくさん並んでいました。
生憎写真は撮らなかったです。
この日は、ここで引き返しました。
またいつか、この先に行けたらいいな!と思っています。
ちなみに先を書いておきますが・・
その道を横断して・・また道なりに直進すると
旧国道2号線に行き当たりここに出ます。
(以前、旧国道2号線を通って行った場所です)
あの大きなお屋敷を左に見ながらJRの線路方向に進むのが旧山陽街道です。
彼岸花を求めて、長友あたりまで行ったのは→こちら
旧国道2号線から、こちら側を見て写真を撮っていました。
この町には神戸にはありえない! あんなのどかな景色があるのです。
開発も良いけど、
持ってる良いもの(勝パターン)を捨てないで保存していきたいものです。
昨日書いた七日町古墳はいったいどこにあるのでしょう?
PetitDarlingさんが市に問い合わせたら「岡石丸運動広場入口のすぐ北」
とのことで探したけれど分からなかったそうです。
私も以前行った時、探しましたが・・分かりませんでした。
さて、明日は・・街道から外れて・・・どこへ?
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは“ふるさとへの窓” (山陽小野田市 厚狭)
厚狭の景色を画像で残しておきたい
そんな気持ちで黙って撮った建物の画像の数々 どうぞご容赦を!
ご協力があればこそ!お陰様でこのブログが続けられます。
もしご都合悪ければ、お知らせ頂ければ削除致します
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鴨橋を渡り、90度曲がって旧山陽道をここまできました。

この道を抜けると山野井工業団地へ行く道に突き当たります(前に少し見えてます)。
その道に出ると左にお地蔵さんがたくさん並んでいました。
生憎写真は撮らなかったです。
この日は、ここで引き返しました。
またいつか、この先に行けたらいいな!と思っています。
ちなみに先を書いておきますが・・
その道を横断して・・また道なりに直進すると
旧国道2号線に行き当たりここに出ます。
(以前、旧国道2号線を通って行った場所です)
あの大きなお屋敷を左に見ながらJRの線路方向に進むのが旧山陽街道です。
彼岸花を求めて、長友あたりまで行ったのは→こちら
旧国道2号線から、こちら側を見て写真を撮っていました。
この町には神戸にはありえない! あんなのどかな景色があるのです。
開発も良いけど、
持ってる良いもの(勝パターン)を捨てないで保存していきたいものです。
昨日書いた七日町古墳はいったいどこにあるのでしょう?
PetitDarlingさんが市に問い合わせたら「岡石丸運動広場入口のすぐ北」
とのことで探したけれど分からなかったそうです。
私も以前行った時、探しましたが・・分かりませんでした。
さて、明日は・・街道から外れて・・・どこへ?
どこにでもある風景だけど
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旧山陽道 石丸橋
2010/01/29 Fri 10:43
2010.1.29
今日のふるさとの窓はここです。

大正川を渡る石丸橋です。
そうそう、ここに至る前の、下の建物も旧山陽道になくてはならない風景かと・・
去年の4月7日のブログに載せていますが再度写真を載せます。

石丸橋を過ぎると七日町。
以前来た時、七日町古墳を探したのですが、分からず諦めて帰ったことがあり
あれ以後、来ていなかったのです。(今回もパス・・いつかゆっくり来て見ます)
さてこの先はうっそうとした雰囲気?坂道です。
以前来た時は ここから先へは なんだか~と・・・・行ってなかったので
このたびは、この先の景色はどんなのだろうと・・恐る恐る・・進んで行きました。

昨日の小春紀行の「左右に岨ある坂を長く下り行けば・・・(逆コースだから)」
きっとこの場所にあたるのではないでしょうか。→ 昨日のブログ
山道を抜けると・・こんな景色が広がりました。
本来自然の道はこんな風に曲がっているものなのですね!。

のどかな里山の風景です。
昔の街道沿いだから、ここは かの豊臣秀吉も九州におもむく際に
通って行ったのでしょうね~!。
そんな昔に思いを馳せながら・・・先へと進みました。
では先は・・明日へと続きます
どこにでもある風景だけど
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大正川を渡る石丸橋です。
そうそう、ここに至る前の、下の建物も旧山陽道になくてはならない風景かと・・
去年の4月7日のブログに載せていますが再度写真を載せます。

石丸橋を過ぎると七日町。
以前来た時、七日町古墳を探したのですが、分からず諦めて帰ったことがあり
あれ以後、来ていなかったのです。(今回もパス・・いつかゆっくり来て見ます)
さてこの先はうっそうとした雰囲気?坂道です。
以前来た時は ここから先へは なんだか~と・・・・行ってなかったので
このたびは、この先の景色はどんなのだろうと・・恐る恐る・・進んで行きました。

昨日の小春紀行の「左右に岨ある坂を長く下り行けば・・・(逆コースだから)」
きっとこの場所にあたるのではないでしょうか。→ 昨日のブログ
山道を抜けると・・こんな景色が広がりました。
本来自然の道はこんな風に曲がっているものなのですね!。

のどかな里山の風景です。
昔の街道沿いだから、ここは かの豊臣秀吉も九州におもむく際に
通って行ったのでしょうね~!。
そんな昔に思いを馳せながら・・・先へと進みました。
では先は・・明日へと続きます
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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旧山陽道 小春紀行の厚狭
2010/01/28 Thu 09:30
2010.1.28
今日のふるさとの窓はここです。

昨日の続きです。
旧山陽道。厚狭駅新幹線口前の造成地域を通り、先へ進みます。
県道(津布田群線)と交わる場所、桜川橋を渡り、直進します。
この写真の左方向に厚狭毛利家の墓所、洞玄寺があります。

小春紀行
「人家まばらに十余戸もあるべし、左に赤き岸そばだちて右に田あり、
田のむかひは山なり、左右に岨ある坂を上るに左に赤き岸そばだちて、
右は田にして田の向ふは山なり、
左右に岨ある坂を長く下り行けば、右下津洞玄寺道五町といへる石表あり」
岨の意味を調べてみました。
そば【岨】《「稜(そば)」と同語源。古くは「そわ」》山の切り立ったけわしい所。がけ、絶壁など。
「小春紀行」は
蜀山人=江戸時代後期の狂歌師、大田南畝が九州から京都にのぼる時書いた道中記
ということは、逆方向から進んで来たということですから・・・・
切り立った険しい道は この先にあるようです。
どういう険しい道でしょう?
昔の人は旅をするのは大変だったのですね。
厚狭の宿に入るのに、人相悪い人が出没するから
籠で通り抜けたと書いているのもありましたよ。
(厚狭は通り抜けですって!)
さて、長くなりますので・・今日はこの辺で・・・
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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今日のふるさとの窓はここです。

昨日の続きです。
旧山陽道。厚狭駅新幹線口前の造成地域を通り、先へ進みます。
県道(津布田群線)と交わる場所、桜川橋を渡り、直進します。
この写真の左方向に厚狭毛利家の墓所、洞玄寺があります。

小春紀行
「人家まばらに十余戸もあるべし、左に赤き岸そばだちて右に田あり、
田のむかひは山なり、左右に岨ある坂を上るに左に赤き岸そばだちて、
右は田にして田の向ふは山なり、
左右に岨ある坂を長く下り行けば、右下津洞玄寺道五町といへる石表あり」
岨の意味を調べてみました。
そば【岨】《「稜(そば)」と同語源。古くは「そわ」》山の切り立ったけわしい所。がけ、絶壁など。
「小春紀行」は
蜀山人=江戸時代後期の狂歌師、大田南畝が九州から京都にのぼる時書いた道中記
ということは、逆方向から進んで来たということですから・・・・
切り立った険しい道は この先にあるようです。
どういう険しい道でしょう?
昔の人は旅をするのは大変だったのですね。
厚狭の宿に入るのに、人相悪い人が出没するから
籠で通り抜けたと書いているのもありましたよ。
(厚狭は通り抜けですって!)
さて、長くなりますので・・今日はこの辺で・・・
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
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旧山陽道を行く 厚狭千町ヶ原
2010/01/27 Wed 08:53
2010.1.27
今日のふるさとの窓はここです。
厚狭駅新幹線口前の造成地域

昔、この一帯は千町ヶ原と言って田んぼだったのです。
(千町ヶ原の中央が厚狭駅だそうです)
厚狭駅が新幹線駅になり、この一帯はきれいに造成されたのですね。
私が越して来た時はもう出来上がっていました。
あれから少し建物は増えています。
左に市の文化会館の建物が見えます。
この一直線の道が旧山陽道だとは!知らない方も多いのではないか?と
思います。
ここを通り過ぎて・・振り向いてもう1枚、全体を撮りました。
厚狭新幹線口方面です。

寝太郎神社はこの画像に入っていませんが、
新幹線高架寄り、画面左方向にあります。
全国高校クリエイティブコンテスト、厚狭高校全国1位の
新しい横看板が校門前に掲げられましたので、早速、撮って画像を載せました→こちら(1/15のブログです)
去年の画像と並べて入れておきます。連続1位ですから。
越して来た者ですが、本当に嬉しいです。
どこにでもある風景だけど
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厚狭の景色を画像で残しておきたい
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厚狭駅新幹線口前の造成地域

昔、この一帯は千町ヶ原と言って田んぼだったのです。
(千町ヶ原の中央が厚狭駅だそうです)
厚狭駅が新幹線駅になり、この一帯はきれいに造成されたのですね。
私が越して来た時はもう出来上がっていました。
あれから少し建物は増えています。
左に市の文化会館の建物が見えます。
この一直線の道が旧山陽道だとは!知らない方も多いのではないか?と
思います。
ここを通り過ぎて・・振り向いてもう1枚、全体を撮りました。
厚狭新幹線口方面です。

寝太郎神社はこの画像に入っていませんが、
新幹線高架寄り、画面左方向にあります。
全国高校クリエイティブコンテスト、厚狭高校全国1位の
新しい横看板が校門前に掲げられましたので、早速、撮って画像を載せました→こちら(1/15のブログです)
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越して来た者ですが、本当に嬉しいです。
どこにでもある風景だけど
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