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鴨橋の建設スケジュール

2012/11/30 Fri 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

12030406.jpg

この写真は春のお雛さまめぐりの時に姿を消した白い家から撮ったものです。



鴨橋の工事予定宇部日報に出ていました

「新しい橋は、橋長が69・9メートルで、幅員は現在の橋と同じ5・9メートル。橋脚は水害に強くするため現在の4脚から2脚に減らし、橋の高さも1メートルほど高くなる。コンクリート製の現在の橋と異なり、新しい橋はPC鋼材で造られ、御影石調の塗装を施す。新しい橋の親柱には現在の橋の親柱を再利用するという。

来年1月から、仮橋(幅員2メートル)の建設に着手。仮橋は、現在の橋と厚狭大橋の間に架けられ、梅雨前までには完成予定。仮橋は歩行者用で自転車とバイクは押して歩く場合のみ通行できる。橋の撤去工事は、現在建設している上流の厚狭新橋が完成する来年秋から始まり、撤去が終わり次第、橋脚の工事に入る。」



昭和2年に架けられた橋・・随分長持ちしたのですね。

姿を消すのは寂しいです。


先日(11/26)の鴨橋傍の白い家の昔の持ち主の志道家の親戚筋の方がこのブログの訪問者さんでした。
コメントを下さっています。
井上馨が養子だったということも聞いていたとか。
志道家は於福が本家、その本家の墓参りに行っていること・・など書かれています。

以前、枝村屋枕流亭を載せた時、枝村家の親戚筋の方がコメントを書いてくださったことが
ありましたが、本当にこのブログは多くの方に読まれていることを実感しました。

管理人としましては最高に嬉しいことです。


今日は橋のニュースをアップしましたが、コメントのお返事が書けません。
皆さんでこの欄を使ってご自由に意見交換してください。
帰ってきて見ますから・・






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殿町の赤いポスト健在

2012/11/28 Wed 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

大分前に撮ったまま、フォルダに長いこと置いてあった画像です。

12073002.jpg

いつも”このポストを入れてステキな写真が撮りたい!”
そう思って撮って・・イマイチでそのまま置いてしまっているのです。


越してきて最初にここを見た日を思い出します。



私が越してきて随分様変わりしましたから
もしかしてこの写真の中の建物で 今はもう無いのがあるかもしれません。

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風景 | コメント(6) | トラックバック(0)

鴨橋傍の白い家2

2012/11/26 Mon 07:00

一昨日からの続きです。

鴨橋の傍の白い家、N井邸は昔は志道家一族の屋敷でした。家屋の内部は→こちら

大正12年頃の鴨橋
大正12年の写真ですがこの時すでに古かったということで基礎部分は明治時代だろうということでした。


一昨日、この家の瓦を剥がしてた写真を載せ、その後、工事が進み半分解体済み!ということを知り、
無くなってからでは申し訳ないので、少しでも残っているうちに撮っておきたくて行ってきました。


志道(しじ)家は毛利家の流れを汲む由緒ある家柄です。
毛利家と先祖を同じにする名家で、四千五百石を有し、代々毛利の重臣として歴史に名を残しています。
特に二代目広良は毛利元就を育て補佐して、毛利家の隆盛の礎を築いたといわれています。
関ヶ原の合戦で、毛利軍が敗軍に属したため、毛利は防長二州に追われましたが、その際志道家も同行し、寛永二年(1625年)の領地替えで於福をあてがわれ、明治二年の領地返上まで244年間領主として君臨しました。

明治の志士、井上馨は天保(てんぽう)6年11月28日長州藩士の子として生まれ
のち同藩士志道(しじ)家の嗣子(しし)となりました。


その由緒ある一族の家です。

12112502.jpg
もう真ん中部分が消えています。


12112506.jpg

12112504.jpg

12112512.jpg



お雛さまを見た時、この階段を登りました。

12112509.jpg


床下の奥の方が撮りたかったのですが。。。

12112508.jpg


12112507.jpg

12112505.jpg

12112503.jpg


ガレキの中を目を凝らしてみると、白い漆喰の塊にくっついた紙切れ、
見ると文字が見えたので、そぉっと剥がしてみました。

志道の文字が・・

12112510.jpg




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鴨橋傍の白い家

2012/11/24 Sat 07:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

一昨日、枕流亭の工事をチェックに行ったとき・・・枕流亭はまだ変化なし・・・

あの白い家の元N氏邸の屋根瓦が剥がれていました。

12112201.jpg

この家は築100年以上経っている建物ですが それを惜しげも無く解体するのは
見ていても悲しくなります。



対岸から一応写真を撮って帰ってきました。

12112202.jpg



最後にお雛さまめぐりで屋内を見せていただいたこと!
今となっては本当に見ておいて良かったと思いました。
N井様に感謝です。

12112200.jpg

白い家のN氏邸のお雛さま飾りはこちらからご覧下さい



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再び迫山へ7

2012/11/23 Fri 07:00

続きです。

もう1軒奥の家
この道では一番奥の家ですが、すごくお洒落なイメージの家でした。

12100412.jpg


ちょっと玄関の方へと歩を進め・・撮ったのがこれ。

風流な・・私好みの・・・素敵な家でした。

12100413.jpg


これは植え込みの間からちょこっと見えた蔵を撮ったのですが・・写真ではあまり分かりませんね。

12100431.jpg

この道、もっと先があると思ってたのに、ここで行き止まりだっちょっとびっくりしました。



迫山は前回の探検(2012.5/8~5/20)の時も感じましたが、魅力的で気になる集落です。
とても格式の高さを感じました。


地図で見ると他のルートもあるようですが・・今回はこのルートでおしまいです。
別のルートは物刈城へ行く道なのだそうです。

何事かあったら、お城へと走ったのでしょうね。
そんな道が今も変わらず残ってるだけでもすごいではありませんか!。

いや~!厚狭は面白い町です。





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