幕末の武士岡崎熊吉の墓
2013/01/17 Thu 07:00
今日のふるさとの窓はこちらです。
赤川にある岡崎熊吉の墓です。
岡崎熊吉 1832-1864 幕末の武士。
天保3年生まれ。長門(山口県)藩校明倫館の会計吏。
文久3年下関での外国船砲撃の際 会計をつとめる。
元治元年『禁門の変』で来嶋又兵衛に先んじ蛤御門で戦死。33歳。
京都から母と妻子のもとに届けられた遺髪は、赤川虚空蔵堂境内に埋葬された墓標が建てられました。
ここには遺髪が埋められたそうですが縁のある方は、ここにはもう住んでいらっしゃらないようですが
お墓は地域の人が護っておられるようです。
地図で場所の特定が難しいのですが・・・多分ここ??来聞寺のところだったか?。
どこにでもある風景だけど
ここが故郷の人には ここは思い出の場所
このブログは“ふるさとへの窓” (山陽小野田市 厚狭)
厚狭の景色を画像で残しておきたい
そんな気持ちで黙って撮った画像の数々 どうぞご容赦を!
ご協力があればこそ!お陰様でこのブログが続けられます。
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岡崎熊吉 1832-1864 幕末の武士。
天保3年生まれ。長門(山口県)藩校明倫館の会計吏。
文久3年下関での外国船砲撃の際 会計をつとめる。
元治元年『禁門の変』で来嶋又兵衛に先んじ蛤御門で戦死。33歳。
京都から母と妻子のもとに届けられた遺髪は、赤川虚空蔵堂境内に埋葬された墓標が建てられました。
ここには遺髪が埋められたそうですが縁のある方は、ここにはもう住んでいらっしゃらないようですが
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