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鴨庄 桐原家2

2015/05/23 Sat 06:00

今日のふるさとの窓はこちらです。

鴨庄の北側の山麓に長州藩寄組だったという、熊谷家居宅跡という場所がありますが・・・
そこからそう遠くない場所に、桐原家があります。

先日紹介した鴨庄の桐原家は熊谷家の筆頭家老だったという家柄。
また、熊谷家とは縁戚関係の家筋です。(桐原直房という名前が見えます)

津布田 吉田 鴨ノ庄 福正寺 鋳物師屋 山川 浴と点在する熊谷氏の領地、
鴨庄は桐原氏が差配していた熊谷領であったということです。

桐原邸の今の家屋の奥に、古い座敷が今も残っています。
遠慮がちに撮ったのでボケてます。
一つ一つ、ゆっくり見たかったのですが…急な訪問者ゆえ・・・遠慮しました。

P1170075 (600x390)

熊谷元直の誅殺(熊谷元直はキリシタンであった)のとき、幼かった嫡孫元貞(千代丸)家老、桐原宗右衛門が背負って
密かに毛利秀元(千代丸の叔父=長府毛利初代藩主)の邸に避難し、難を逃れたことで熊谷家は存続できたということです。


欄間のところに由緒のある熊谷家の家紋「寓生(ほや)」が飾ってありました。
「治承4年(1180年)、熊谷直実が「石橋山の戦い」に敗れて落ち延びた源頼朝を見つけた時、寓生(ほや)で頼朝を覆い隠し身の安全を図った。
その時偶然にも2羽の鳩が飛んだ。後に直実が源頼朝の家臣になった際、そのエピソードを憶えていた頼朝から、家紋として渡された。」
安芸の熊谷氏は近世に至って、「鳩」が消えて「寓生」のみを家紋として用いている。
寓生(ぐうせい)=ほや・・寄生木

P1170074 (600x398)


もう一つ、「あまり手入れしてないけど」と、ちょっとだけと庭を見せて下さった。

P1170076 (600x398)

一つ残念なのは、大門を撮ってなかったこと。
その大門のそばに、上の写真の庭へ出る門があるのです。
今の家になる前は 大きなお屋敷だったそうですが、今はそれを見ることができないのが残念です。


実は、以前、鴨庄のことを調べると、どうしても熊谷家の家老の桐原家の場所を知りたくて、
さんざん探し回ったことがあり、誰に教えてもらったわけでもなく、たまたま通りかかった家の表札が
「桐原」だったので、もしかして?ここがそうかも・・と、記憶の片隅に置いておいたのでした。

私を「杜のまち」のメンバーにと、誘って下さったのが桐原さん。このブログがご縁でした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このシリーズの熊谷家、筆頭家老の桐原家などを書くにあたり、熊谷家などを、いろいろ調べていたところ、
偶然にも 同じく家老職の細迫家の家筋にあたる細迫兼光邸の屋内の写真を撮る機会を得ました。
これには、ちょっと驚きを禁じ得ませんでした。すごく嬉しかったです!。

細迫節夫様(兼光さんのお孫さん=先日(5/18)の杜のまちの寄り合いの時の写真(前列)に入っておられます)、
ありがとうございました。

このシリーズの後編で、本邦初公開の 細迫兼光邸の写真を紹介させていただきます。
今しばらくお待ちください。

この写真は、細迫兼光邸の門の前に咲いていたサツキの花です。
兼光さんの伝記を読んで、すっかり兼光ファンになったもので、兼光さんも眺められた花だと思うと、
なんだかとても愛おしく思えました。

P1170921



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社長逮捕で 明日をも知れぬ?いつ消えてもおかしくない状態とか。

せっかく今から良い所なのに・・・



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門 家屋 塀 | コメント(4) | トラックバック(0)
コメント
No title
貴重なお写真、ありがとうございました。

いかにも武家という感じの、簡素だが質の高い和室ですね。特に、欄間に飾ってある熊谷家の家紋の寓生など、こんなふうに教えてもらえなかったら、「なぜこんなものがあるのかな?」などと不思議に感じるところです。

細迫邸といい、桐原邸といい、鴨ノ庄にある昔のお屋敷は本当に凄い。こういうところが、厚狭がただの田舎ではないと感じるところなのです。
私は桐原邸を実際に見たことは、おそらくないと思うのですが、鴨ノ庄の奥から当時殿町にあった厚狭小学校まで、桐原さんや鴨ノ庄や鋳物師屋の子供達は歩いて通われてたんですよね。
当時の子供って、毎日あれだけの距離を歩くなんて、凄いですね。

>びわ子さん
これを書くのに骨が折れました。
写真を撮った段階では、桐原家と熊谷家の逸話や、家紋のことも知らなくて、ずっと調べて、この後に続くこともあったので、頭が熊谷色でした(笑)。
細迫邸を見に行った時に同行された方が、昔の桐原邸のことを話されていましたが、立派だったそうです。

私も小学校、中学校とすごく遠くまで歩いたもので、鴨ノ庄はまだ近い方だと思うのですが、鋳物師屋も厚狭小校区内ですか?。それは大変でしょうね。


No title
人により目をつけるところや興味の向くところはそれこそ十人十色でしょう。自分は、現状では個人情報等の関係で難しいことですが、実際に現地に行き建築士さんなどから建物の建築様式、特徴やその当時の時代背景などを教えてもらうことが出来ればいいなと思ったりします。また、厚狭のことを知る。ということでソレゾレの専門家を講師に歴史や建築物などについての講座を年に何回か開催しても面白いとおもいます。(現地に行くのに以前話していたウォーキングを入れるのも有ですね)
>元山陽町民。さん
ウォーキングは私も今、妄想が膨らんでいます。

厚狭には武家の館、商家など本格的なものが狭いエリアに揃っています。
田舎では珍しいくらいだと思いますよ。
小野田側にはないもので、その強みを知ることもなく、売りにしない市も
ばかだなと私は思います。


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